活動休止ではなく解散を選ぶということ。
どうも。バンギャル*1でありつつ、V6とか女性アイドルとかも追いかけてるクソDDのフミヅキです。
小さい頃、アニメ好きだった私は平日夕方6時~7時はテレビ東京タイムだったのですが、いつからかその枠に彼らの番組が出来たのが初めて彼らを認識した時じゃないかと思います。それ以前にグループ自体は知っていたかもしれないけど、その番組でメンバーの名前と顔を覚えたはず。テレビ東京で放映された少女漫画誌りぼんアニメ化作品に声優として出演してくれたメンバーもいて、すごく嬉しかった記憶があります。
私はバンギャルでありつつ、2年前くらいからV6のファンになりました。そうなると、ジャニーズ事務所の他のグループもいっきに「かわいいなあ」「気になるなあ」という思いが芽生え、男性アイドル界の深くて大きな沼に対面することとなりました。ネットを巡ればたくさんのファンによるたくさんの萌えポイントが列挙されており、「ふええええ!」と驚き、癒される日々が待っていたのです。私にとって、ヴィジュアル系バンドは拭いきれない心の中のドロドロしたものを直接・間接に吐き出しぶつけられる対象で、アイドルは理想化されたピースフルな存在で夢とか癒しのイメージなのです。
両者ともファンの理想や思いをたくさんぶつけられてる存在で、それでも崩れない強度のある人達ばかりですごいなと思って私は見ています。特にジャニーズのアイドル達は多くの媒体で露出する分、たくさんの人からたくさんの想い・理想・情念を抱かれながら、それを受け止めて輝き続けているわけで、人間としての強度がものすごいなと尊敬しています。理想を体現し続けるってすごく大変なことだと思うのです。
バンギャルとしての私はいくつものバンドの活動休止・解散のニュースを見てきたし、大好きなバンドが活動休止・解散になることもありました。もうこの年になると*2好きになったバンドのメンバーにはその人にとって幸せな道を歩んでほしいなあと思うから、すごく悲しいけど仕方ないという気持ちになりました。
それで、この「活動休止」と「解散」の違いについて私が考えていることですが。
「活動休止」というのはバンドによっては限りなく解散に近いニュアンスの場合もあるけれども、基本的には未来の復活を予期した言葉だと認識しています。未来のための冷却期間、体力・精神力の回復、怪我の治療、新しい能力の獲得などのための時間をとり、いつか戻って来る日を約束して一旦バンドの幕を閉じる。ファンは再開の約束を信じて彼らを一度見送る。優しくて切ない言葉。
一方の「解散」は、原則的には再開を前提としない、さよならの言葉だと捉えています。「バンドを終わりにする」というシンプルな行為。パッと咲いて散る桜のような「終わりの美学」とか、このバンドを今の美しい状態のまま終わらせたいという美意識が背景となる場合が多いように思います。どちらかというと、ファンは置き去りにされた言葉のイメージ。でも、ファンに夢を見せたまま終わらせる、綺麗なものだけを見せて幕を引く魔法の言葉でもあると思うのです。
バンドにもアイドルにも夢や理想を抱いて毎日楽しくファン活動できるのは、贅沢な趣味なのかもしれません。昔は「アイドルを王子様的に捉えている人達」をちょっと不思議に思っていましたが*3、今は「アイドルって特別な人達なんだ」ということが理解できました。
彼らはファンを夢の中に取り込むための、何か特別な魔法の力を持っているのかも。だから、いつかその魔法を手放す時が来ても、その魔法のレシピを秘密にしたまま去っていってくれるのなら、それはそれで私達は夢を見続けられるからちょっとだけ幸せなのかもしれません。
なんのこっちゃわからん文章かもですが、そんなことを思ったりしました。