THE STARRY RIFT

ヴィジュアル系バンドや女性・男性アイドルについて気ままに駄弁るブログです。

【ネタバレあり】森田剛主演舞台「ビニールの城」 感想とか色々連想したこと

どうも。バンギャルヴィジュアル系バンドのファン)でありつつ、2年位前から女性アイドルやV6にもハマってお金と時間が足りないフミヅキです。先日、剛くん主演舞台の「ビニールの城」を見に行ってきましたので、その感想を書きたいと思います。【ネタバレあり】で書きますので、ご注意願います。

ちなみに、舞台を見た当日の私の呟き

すげー久々のツイートであった……。twitter始めたはいいものの、自分の書きたいことは長文になりがちなのでブログばかり更新して、twitterはバンドマンやアイドルの発言や情報チェックツールとなっている……。

 

舞台について

会場・美術について

昔、知人に連れられ、20名くらいの観客の舞台を見に行ったことはあったのですが、これだけ大きな観客の入る舞台を見に行くのは初めてでした。

今回、どうしてもチケットが欲しかったので、ファンクラブ応募時に倍率が低そうな平日昼S席で申し込みました*1。ぼっちなので1枚で申し込み。ファンクラブは剛くんで登録してあるけど(V6全員好きな剛担です)、これって選考に反映されるのかな?大丈夫かな?とか不安に感じていましたが、無事にゲット! やったー!!

とはいえ、正直、一万円超えるチケットは高いよなーと思っていたのですが、シアターコクーンの座席に座ってみたら予想以上にステージがよく見え、「さすがS席、1万円越えの価値あり!」と感動しました。ただ、視野にステージ全体が収まらないために結構キョロキョロする必要があったことと、近くに見える剛くんの目がなんだか恐ろしくて、なかなかジッと見続けられなかったことは誤算でありました……。

 

ステージ上に設置されたプール、ダイナミックな場面転換(洋楽ロックとかが爆音でかかってすごかった)、水を大胆に使った演出、クレーンなど、大きな舞台だからこそできるセット・仕組みはやはり目を引きました。それと同時に、一昔前のアンダーグラウンドな雰囲気の美術セットが非常に私好みの世界観で涎が……。不気味な人形達が積み重なった薄暗い倉庫、鬼灯市の薄暗い風景などなど、退廃的でノスタルジックな雰囲気が素敵でした。こういう世界観大好き。

 

ストーリーとか演技とか

アングラということなので、おどろおどろしい感じなのかと思ったのですが、コミカルな部分とシリアスな部分が細かく織り込まれ、翻弄されながら、楽しく見ることができました。でも、中心となるのは生身の存在を受け入れられない主役と、生身と虚構の両面を併せ持つヒロインとの関係・相克であり、ちょっと難解な感じもする。かも。

 

お芝居の冒頭、腹話術人形の倉庫の中で、朝顔森田剛)が預けていたはずの人形・夕顔を探しています。

「ゆうちゃーん……!」

まずその一言で私はノックダウンしました。これは私が剛担だからというわけではないですよね? あの絶妙なトーンによる呼びかけは、聞いた人の心を抉るのでは。優しくて寂しくて不安げな声で、ボディーブローのように観客の心をじわじわと侵食していく音声なのではないかと思うのです。

この場面で人形をぞんざいに扱う他の腹話術士と喧嘩したり、夕顔と自分との関わりを話すことで、朝顔が人形に対してちょっと常軌を逸した拘りと考えを持っていることがわかります。自分が腹から出しているはずの声が、実は人形自身の言葉を語っており、朝顔は夕顔を自分の理解者・友として認識しているようなのです。人間以上に人形を大切に思っている。しかし、他者には、お前自身の考えを人形に言わせているだけだろうと指摘されます。

 

続いて、池(?)が室内にあるバーで、ねんねこを背負い、新聞紙で顔を隠した謎の女が登場します。なかなかぶっ飛んで面白い感じだけれども、健気に明るい女性。マスターに言われて彼女は頭部の新聞紙をようやく外すわけですが……。

(ひょえええええ~!)

新聞紙の下から現れたお顔は、マジで神々しいほどの美しさでありましたよ、宮沢りえさん。演出の効果もあったのかもしれないですが、私は心の中で感嘆の声をあげました。りえさん演じるこのモモという女性が、めちゃくちゃ可愛いのです。赤い長靴を履いて池の中を飛び回ったり、お茶目な言動をしたり。あと、りえさんは声が本当にいいなあと思いました。甘くて可愛くて、でも聞き取りやすくて、ずっと聞いていたい声なのです。こういうのヒロインって、あざとい女になりそうなのに、そうはならずに底抜けにピュアで明るい女性を体現しておりました。無垢の少女のような。うは~、可愛い~。

後で宮沢りえさんの年齢を知り、言葉は悪いけれど、この人バケモノかと思いました。ものすごい女優さんだ。

けれども、そんなピュアなモモは実はビニ本(今でいうエロ本)のモデル。しかも、顔をサングラスで隠して、朝顔と夕顔がかつて暮らしていたアパートの隣に住んでいたのです(朝顔と夕顔にご飯の差し入れなどしていた)。しかも、朝顔ビニ本に写るモモを大切にし、話しかけているのを、隣からこっそり覗いていたのです。

その後、人形の夕顔が「自分と朝顔は距離をとる必要がある。そうでなければ、朝顔は生身の人間との関係を築くことができなくなる」ということを朝顔に語り、朝顔と夕顔は喧嘩をしてアパートを出て行ってしまいます。

朝顔が去ってからは、モモは朝顔を想いつつ、朝顔の大切にしていた「ゆうちゃん」と呼べる存在手に入れようと「夕一」という男性と偽装結婚をしてしまうのです。

この夕一という存在もすごくて、朝顔という存在込みでモモを受け入れ、人形の「夕顔」に同一化しようとして朝顔に近づいていくのです。演じる荒川良々さんの淡々としつつ、ぶっぱなすときはぶっぱなし、ちょっとおかしい感じが素敵でした。

 

生身の存在を受け入れられない朝顔は、おそらく虚構の存在だからこそ、安心してビニ本の中のモモに愛の言葉を伝えていたのです。一方の現実のモモは必死に「ビニ本に写る私と今ここにいる私に違いはない!」「生身の私を見て!」と訴えるわけですが、朝顔はどうしてもそれを受け入れることができない。

途中、昼顔と名付けた人形ににモモは自分がビニールの城にいると言伝を託して、ビニ本の撮影に向かいます。しかし、昼顔は大きな水槽に閉じ込められてしまう。それを助け出した朝顔はなんやかやあり、ビニ本撮影に臨むモモの元へ。

(この水槽に入る前、水泳帽とゴーグルを取り出して装着するという、ちょっとコミカルなシーンで、剛くんの「ふへへ」って感じでごく薄く笑ってるような顔が堪りませんでした。ありがとうございました(?)。)

しかし、撮影所でビニールの衝立を介していても朝顔とモモは理解し合うことはできず。モモはビニールの衝立を介して空気銃を撃ち、朝顔の元から離れてビニールの城へととらわれていくのです。

最終的に夕顔は朝顔の元に戻ってくるのですが、終幕で感じるこの喪失感……。なんとも言いづらいその後味がじわりと心に広がっていく、物語の終わりでありました。

最後に芽生えた朝顔からモモへの執着心のようなものは、やや唐突に思えたのですが、あの空気銃で朝顔の心のどこかに風穴が空いたのかなと考えたりしました。

 

剛くんの演じる朝顔は、人と対峙した時にあまり真っすぐな姿勢をとらず、歪んだ立ち方をしていて、人との間に壁を作っている印象が大きくありました。思い返せば、朝顔が優しいトーンで話しかけていたのは人形相手だけだったような気がします。(夕一にも一時優しい声を掛けていたが、それは人形のように振る舞う彼に敢えて合わせていたため)

そんな朝顔に、かつて夕顔が「それではいけないから自分を捨てろ」と言ったのは、夕顔自身の言葉なのか、あるいは、朝顔の心の焦りが現れたものなのか。人形と対等な関係を築いていると思っていた朝顔も、実のところ、人形の口を通して自分のエゴを発露させていただけなのかもしれない。そういった懸念もまた、朝顔が自分で自分の心を傷つける要素となり、頑なな態度を崩せなかった要因なのかもしれません。

人間は「自分の都合のいい言葉」を言われたい(言わせたい)生き物で、けれども、世の中そんなに都合がいいわけではない。だから、人形との蜜月の日々はとても甘美なのだけど、それではいけないということも心の隅ではわかっていて、だからって、今まで大切にしていた人形との関係を捨てるなんてこと許されるのか? いや、「ゆうちゃん」は「ゆうちゃん」として実際ここにいるのに、それを否定するのはおかしい! でも、人間としての僕と人形としての彼は……。

考えれば考えるほど、どんどんドツボに嵌っていく感じが、とても大好きなお話でした。

 

セリフについて

役者同士のセリフのぶつけ合いに圧倒されました。でも、それが心地よいリズム感でもあるのです。 

今回の劇中では哲学や美術に関して引用・言及しながらの問答があったのですが、私はそれを聞きながら、押井守監督のアニメ映画「イノセンス」を連想していました。実は私、「イノセンス」を攻殻機動隊関連作だと知らずにビデオを借りた情報弱者だったのですが*2、この中でもバトーさん・トグサさん達がやたらと故事などの文言を引用しながらセリフのやり取りをしているのです。それらの引用セリフは、本質を突いているようでもあり、しかしながら、煙に巻いているようでもある。「イノセンス」も「ビニールの城」も、引用セリフはリズミカルで淀みのない言葉の応酬なのですが、それは聞いている人に内容を咀嚼する暇を与えないリズムでもあり、観客は訳もわからないまま、作品世界に洗脳されていく感じがして、苛立たしくも心地よい不思議な感触に絡めとられる感覚がありました。(そういえば、奇しくも、「イノセンス」もアンドロイド(いわば人形)との差異、相克、人間らしさとは何かということがテーマかも)

そして、引用以外のセリフも、当然のことながら独特で、比喩や言い回しのリズム感が独特で、恐ろしいような、心地いいような不思議な感じがありました。役者間の言葉のぶつかり合いが物凄かったけれども、同時になんだか流れるように聞き入ってしまう言葉なのです。そういえば剛くんのインタビューで唐十郎さんの書く言葉を「独特」「凄く力のある言葉」と表現していました。

でも流れていく言葉のすべてを把握することは私には不可能でした。 帰りに売店みたいなところでビニールの城の戯曲が収録されているという「悲劇喜劇」を購入したので、舞台を思い出しながら読もうと思います。

パンフレットも買いました。こちらもしっかりした冊子で、読むのが楽しみです! あと、ピンクを取り入れたパンフレットのデザインを見て、ヒメアノ~ルに続き、剛くん、最近ピンクづいてんだな~と思ったりもした。

 

ちょっと脱線しますが「人形」について思ったこと

最近、私は「人形」づいているのです。

先日、神奈川県立近代美術館に行く機会があり、クエイ兄弟の展覧会を見てきました。不勉強な私はこの展覧会をきっかけに名前と作品を知ったのですが、人形を使ったコマ撮りアニメ等で有名な双子の兄弟で、館内では映像上映の他、使用された人形の展示などもありました。人形は人の形をイメージしつつも、一部あるいは全体にわたって、人間から逸脱した形状をしていました。人を不安定な気持ちにさせる形。昏くて退廃的でシュールでグロテスクなのに、目を惹かれる作品ばかりで「ああ、私、こういうの好き……」と思ったのでした。

一方では、ずっと積読状態だった海外SF「ねじまき少女」をやっと読んだのですが、ここで描かれる新人類(遺伝子改造された人間)が「人形」っぽかったのです。日本製の新人類の女の子は、外観こそ人間と変わりませんが、ラブラドール等の犬由来とされる忠誠心で人間に仕え、動作はぎこちないギクシャクしたもので、生殖能力はなく、たまに「ねじまき」が必要な様子*3。そして、触り心地の良いキメ細やかな肌を再現するため、遺伝子操作で極端に毛穴を少なく小さく作られています*4。彼女は通訳や交渉・事務処理といった優れたビジネススキルの他、夜の相手としても素晴らしく、さらにこの世界で脅威となっている疫病にも耐性があり、日本の京都にいた頃は主人(企業経営者)にとても大切にされていました。しかしながら、その後、ビジネスのためにタイ(宗教的な理由で新人類を認めていない)に期限付きの特別許可で持ち込まれたものの、日本に連れ帰る渡航費用をケチった主人に置いて行かれてしまいます。不法滞在で見つかって処分されるのを恐れながら、バンコクで娼婦(その中でもおそらく最低ランクの仕事)をしている状態。日本では一定の尊厳を持って扱われた彼女も、タイで彼女は人間扱いされません。彼女は元主人を恨みつつも、大切にしてもらった京都時代の思い出を懐かしみ、けれども、「仕えるべき主人」がいなければ精神上安定しない彼女は新しい主人である娼婦の元締め男の元に居続けます。

この造形と精神性は(一部のマニアック側にいる)人間のフェティシズムを反映した、「人形」と呼ぶに相応しいものではなかろうか!と、私は読みながら興奮していました。人間を模し、さらに理想化された姿を与えられつつ、自らの意志の発露はなく、まわりの人間の思い・思い込みを当てはめられ、大切にされたり、ぞんざいに扱われたり。

 

人間のエゴと理想を体現させられた人形は、人とは違う存在でありつつ、人を象った形をしているがゆえに、人間の精神性を重ねて見られたり、不気味に感じられたり、大切にされたり、粗雑にされたりするのかもしれません。

 

そんな風に、昏さを湛え、情念のこもった人形達を目の当たりにしていたので、シアターコクーンの座席に座って、風鈴の音を聞きながら舞台上で淡い光に佇む種々の人形達を見るのは気味の悪さと共に既視感みたいな不思議な感覚もありまして。素敵な世界観だなと素直に魅入ることができました。

 

昏くて何も見ず、何も話さないはずの人形が、腹話術を通して動き、感情や思いを露出させる。でも、それは人形自身の気持ちを現しているのか、それとも、腹話術士が腹の中で思っていることを吐き出してるだけなのか。見ているうちにわからなくなっていくようすはゾクゾクしました。

人の形を与えられた彼らはやはり人の心の内側にあるものと無縁ではなく、何とも不思議で、怖くて、魅力的な存在なのだなあと改めて思ったのでした。

 

あ、ちょっと話は飛びますが、ここで我が家の可愛い子ちゃんをご紹介します。 

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ブライスのニッキーラッド。何年か前、最初は他の髪の長い子をお迎えしようかと考えていたのですが、某おもちゃ屋さんで他の子達と比べてニッキーラッドの箱だけやたらと個数が置いてあって……売れ残りなのか、たまたまそうだったのかはわからないけど、なんだか気になってしまって結局この子をお迎えしました。着物は私の手縫い*5、髪飾りは私のブローチをプレゼント。最近はなかなか新しい服を用意してあげられず……。今度はもうちょっと可愛い柄の着物を作りたいし、いつか可愛いドレスに挑戦してみたいです。待ってておくれ。

私もこの子に自分の中の何かを投影しているんですかね?

 

いつものごとく、まとまりのない文章ですみません。備忘録的に、色々考えたことをとりとめもなく書き散らしてしまいました……。

 

 

 

 

*1:今年のソロコン・舞台とかは土曜休日狙いで外れまくっていた。

*2:たまたま見た「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」が好きな内容だったので、同じ監督のイノセンスは話題作みたいだし借りてみるかーと思って全然内容を調べずに借りた人。

*3:彼女の構造に関する詳しい記載はないため、ねじまきがどういう行為なのかは不明。この世界は石油枯渇によりエネルギー供給量が大きく制限されているという設定なので、食事以外で補助的にエネルギーを確保する手段なのかも?

*4:そのせいですぐにオーバーヒートしてしまう。舞台はタイ・バンコクなので、彼女は現地の気候に適応できなくて苦しむ。

*5:襟のサイズとかを失敗しているのだよ……。そして、帯の色が全然合ってない……。ごめんよ。